箱庭的小説、そして楽しい読書のススメ。





ここ2ヶ月ほど、立て続けに本を読んだ。


『博士の愛した数式』 『恋愛写真』 『薬指の標本』 『四日間の奇跡』 『イン・ザ・プール』 『空中ブランコ』 『クチュクチュバーン』 『アフターダーク』 『マドンナ』 『ウランバーナの森』 『ヒレハレ草』 『僕の中の壊れていない部分』 『最悪』 『もしも私が、そこにいるならば』・・・・・


・・・・・などなど。


月下、読み始めると、すごい勢いで読むのだ。


常にこの勢いで読んでいるわけではない。あたりまえだ。なんか・・・・「あ〜〜最近脳ミソ乾いてるなぁ〜〜」ってね、なってくると読書モード突入。そうそう、あんまり使わないでいると、脳ミソって乾いて、カサカサのパサパサになるんだよ。
(ウソです。☆ヾ( ̄  ̄*) ぽかっっ・・)


私は基本的に、ストーリーの展開や、衝撃の結末や、巧妙なトリックや、そういうものを楽しむというよりは、むしろ、そこに築き上げられた世界の在り方そのものを楽しむタイプの読者だ。綿密に構築された世界の、その閉塞感が好きだ。そこだけに流れる時間が好きだ。


私はこういう小説を「箱庭的小説」と呼んでいる。箱庭的小説、万歳。
・・・こんな私って、本当にひきこもりの一歩手前なんだと思う。


そんなわけだから、ミステリーっていうのはあんまり読まない。
結構いい雰囲気で、『おぉ・・・いい感じだ。( ̄▽ ̄) ニヤ』 と思って読んでいくと、突如誰かが殺される。そして、物語はトリッキーに展開しつつ、殺戮に次ぐ殺戮の果て、わりとどうでもいいような動機が語られる。


がっかりである。 llllll(=_=;)llllll ぁ〜ぁ・・・


翻訳モノもあまり読まない。面白そうだな・・・と思って読み始めるんだけど、結局最後まで読まない。


翻訳モノが苦手な理由は・・・自分ではなんとなくわかるんですけどね。説明しようとすると、どうも上手く言えないんだけど・・・たぶん、作者が構築したはずの世界と、今、自分が読み進めていく世界に、温度差があるような気がして、そこが気持ち悪い。居心地が悪い・・・・ような気がする。そんな気がする。いや、気のせいかな?ちゃんと読んだら、たぶん面白いんだろうな。そうだ、きっと面白いんだ。よし、今度はハリーポッターを読破するぞ!!


・・・・こうして、私の書棚の中には、読み終えられることのなかった外国作品がひしめいている。


しかし、いい加減、月下も学習しました。 <( ̄ー ̄)> エッヘン!


人には向き・不向きというものがあるのだ。あるいは、単に嗜好の問題というのもあるだろう。レタスは好きだが、キャベツが食べられない人。電車は好きだが、バスに乗ると酔う人。そして私は、外国作品が読めない人。それだけのことだ。


ところで・・・・


本との出逢いは、縁なのだと思う。月下はつくづくそう思う。
その本が、良い本であるか?優れた本であるか?ということは、はっきり言ってどうでもよろしい。それがどんな本であれ、最後の1行まで、夢中になって読むことが出来たら、その本とは縁があったのだ。


誰かと、何かと、縁があるというのは、悪くない。


だから、本なんて、楽しく読めるものを読めばいいのだ。
難しい本をわざわざ選んで読む必要もないし、難しい本が優れた本であるということもない。読みたくない時に無理に読む必要も、ましてや、読みたくない本を頑張って読む必要なんて、ぜーんぜんないのだ。


こうして、秋の夜長、月下は今日も読書、読書・・・なのだ。