楽石雑筆4
新たな鹿嶋事触れとして
「鹿嶋地震なまず博物館」をつくる
関 沢 紀
「ゆるぐとも よもやぬけじのかなめいし かしまのことぶれあらんかぎりは」という歌があるということを知ったのは何時のころだろうか。要石というのはいうまでもなく、鹿島神宮境内にあるひとかかえに満たないほどのまるい石で、半分見え、あとは地中に埋まっているように見える。石の中央には大人の拳大のへこみがあり、掘っても掘りきれない石、鹿嶋の地中深く棲む大鯰の頭をおさえている石、そのためにこの地方には大地震がないといわれてきた石である。
「鯰絵」というものがある。それは1855年10月の安政の大地震を契機に、江戸の市中に大量に出回った浮世絵版画であるが、地底の大鯰が地震を引き起こす、要石がその大鯰の頭を押さえているから大地震は起きない、という鹿嶋古来の伝承に基づいて描かれている絵が多くある。
その鯰絵では、地震を起こすなまずは破壊者であると同時に、新しい世の中を創造する救済者として描かれ、なまず、鹿島大明神、要石がその三要素になっている。
なまずは昔から日本各地に生息し、独特な風貌、姿、習性と相まって人々に親しまれてきたが、鹿嶋にとっては非常に縁の深い生き物である。なまずが要石の伝承話と鯰絵の中に生き生きと描かれてきた背景には、その他にはない特色が人々から着目され、愛されてきたからなのだろう。なまずは鹿嶋の湖である北浦(霞ヶ浦)に豊富に棲息していたし、鹿島七不思議の一つである末無川にも棲んでいた。なまずには古から、人々の自然、命、川や湖や水に寄せる思いが重ねられている。
要石に象徴される「地震」と「鯰絵」と「生き物としてのなまず」を材料にして「博物館」のようなものが出来ないだろうかと考え出したのは、1994年の秋に要石を主題にした「なまずの石」という創作童話の絵本を刊行した頃からだった。
一方、自然環境は悪化の一途をたどっている。鹿嶋でも北浦(霞ヶ浦)になまずが棲息しているかどうかが話題になっている。なまずは水が汚れると真っ先に姿を消す、水質汚染の物差しといわれたり、逆に、清流よりも泥のあるところを好む魚ともいわれている。
しかし、「なまず博物館」があるためには、生きたなまずがいなければならないし、なまずが生きていける湖や川こそ守っていかなければならないと思う。
なまずを素材にして、鹿島の歴史、地震、北浦(霞ヶ浦)の自然環境から地球規模のことまで考えていきたい。
また、日本列島は活断層が多く起伏に富み、地殻変動が激しい環太平洋造山地帯にあるので地震はなくならないだろう。「備えあれば憂いなし」であり、なまずと地震は同義語である。なまずにゆかりの深い鹿嶋で地震関係の資料を収集、保存、展示したり、地震と人の関わりを知る場、震災知識の伝承の場をつくり、ささやかながら地震災害に対する「要」の役割も果たしていけないものかと考えている。
なまずは、種数で世界に約31科400属2200種を超え、国内では6科8属11種が知られている。淡水産では6属8種、海水産で2属3種であるというが、そのうちの幾種類かを飼ってもいいし、逆に増やして湖や川に放流してもいいだろう。
それから「鹿嶋地震なまず博物館」の概要図や趣意書などをまとめ「鹿嶋地震なまず研究会」を7人の仲間と発足させたのは昨年(1997年)の10月である。会の活動は今のところは見学会、懇親会、学習会を中心に据え会員を募っているが、鹿嶋市(自治体)への提言書の作成とともに、一つの切り口として「なまず市」を開けないかと考えている。
若いひとが集まるようなリサイクルのフリーマーケットはもちろん、手作り品や農産物の販売や、伝承あそびなどの「あそびのひろば」や流しの音楽や大道芸や寸劇などもある鹿嶋らしい特色のあるにぎやかでおもしろい出会いの場をつくっていけないものかと考えている。地域の老若男女が集い、情報交換したり、地域のくらしを共に考えていく、時には地域の歴史や文化をそれぞれが自由に語り合う、そんな中身のある「市」をつくりあげていけたらと思っている。そこに鹿嶋の博物館づくりの原点を見いだしたい。
この「鹿嶋地震なまず博物館」の在り方をまとめれば、やはり自然と人間が主題であり個性的で、地域的・国際的で、みんなが参加し、体験し、自ら発見できる、しかも常に前進的な博物館ということになるだろうか。
百年以上も前から、諸国に地震と疫病が流行し世情不安となると、その災難を祓うため鹿島神宮の御幣を持つ人が鹿嶋を発っていった。「鹿島事触れ」である。安政の大地震の後も鹿島事触れによって、地震がおさまり、新しい世の中ができることが告げられたのである。現代の「鹿島事触れ」は何かと問えば、そこに住む人の心であり力ということになるのではないだろうか。
「鹿嶋なまず博物館」は、鹿島地域の顔になり、脳にも心臓にもなる自然史博物館をめざしたい。鹿嶋から世界へ、新たな「鹿嶋事触れ」を発信していく場を誕生させたい。
(鹿嶋地震なまず研究会代表)