ふるほん三昧
winter
VOL 2
楽石雑筆 2
風三昧
風 来 坊
風邪が流行っている。新しい型のウイルスが渡り鳥によって媒介されてくるのだそうだ。昨年開発されたワクチンでは今年の風邪に対抗できないそうで、敵は年々強くなって猛攻撃を仕掛けてくる。風邪ぐらい、などと侮ったら仕返しが恐い。風邪は万病のもと、体力の弱った体は空気中に蔓延している無数の病原菌のニューホテルというわけである。
一方風は病気だけでなく、新しい文化も、新しい時代の波も運んでくれた。人は風を耳で聞き、目で見て、そして体で感じてきた。小雨来たらんと欲して風楼に満つ
日本人は古来自然と共に生きてきた。それは遥か遠く1万年以上も前の縄文時代、否、それ以前の旧石器時代まで遡る。自然の中で味わう孤独感も含めて、深い森に迷い込んだような懐かしさ、温かさ、それは血の中に流れる遠古の情報、記憶の成せる業であろうか。そして人々はそこに風を見た。
その風は宇宙の、どこから吹いてきたものであろうか。何十億光年のかなた、光の未来からか、それとも過ぎていったはるかな過去の時代から、時を超えてやってきたものであろうか。風の中に感じる人の心の微かな記憶の糸が、遠い未来と遥かな過去とを結び付けているものだとしたら、人類はいつか自らが作り出した権力とか、内なる抽象的概念としての神とか、実体のないものに支配されることのない、自由と平和な日々を取り戻すことができるかもしれない。五風十雨は「論衡」中国の言葉 世の中大平である。
風の便りに聞く噂、浮世の風は思うに任せぬもの。何事も馬耳東風、馬の耳に念仏と決め込んで、大風吹けば桶屋が儲かる話のたとえもあるし、ええいままよ。住めば都の風が吹く。風の吹き回しは良いことがあれば悪いこともあるさ。順風に帆をあげよ。
古代の日本人は見えないものにも色をつけ、匂いをつけた。風の色は草木を吹きすぎる風の様子。風薫るは初夏の候。風光るは春うららな光の中を微風が吹く様である。一竿の風月、お隣中国も負けてはいない。清風朗月一銭の買うを用いずとは唐の詩人李白の言葉。月に叢雲雨に風、花には嵐の障りあり、花発いて風雨多し。風樹の嘆き、春を待つ我が身も心も冬の寒さに柳風に撓うがごとくありたいものである。
酒は風三昧。酒はその土地の風土、風景、風味に合わせて造られるのだそうだ。正にその土地に出かけて、その土地で味わってこそ本物の味が解るというもの、そして真の贅沢というものである。NHKの朝の連続ドラマ「甘辛しゃん」にも蔵の風の話がよく出てくる。女心と冬の風。せめて今宵は酒に酔い、人生に酔う千日の酒。
明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは