Winery Tour in November, 1998
1998年11月 ワイナリー巡りの珍道中

<有機栽培ワインを求めて〜ロンギ・ディ・キアラ社、ベネチア・フリウリ・ロマーニャ州〜>

イタリアワイナリー巡りの始まりをどこにしようか思案していたら、偶然ある雑誌のトップを飾っていたワイナリーの紹介に出くわした。そのワイナリーはイタリア最北東部にあるベネチア・フリウリ・ロマーニャ州の中でもさらにスロベニアと国境を接する山間部にあるワイナリーで、家族経営ながら有機栽培ワインではかなり名を馳せたワインを作っているらしい。さらにその地域で中世まで作られていた絶滅寸前だったワイン品種を蘇らせた第一人者と聞く。されば、ワイナリー巡りの第一番目の地として遜色はあるまい。個人的な有機農産物への興味もあって、こうして僕の1998年11月のワイナリー巡りは始まった。
 いつものように僕のイタリアの旅はミラノを基点とする。このホームページを一緒に作っている友人宅にお世話になりながら新鮮な現地の情報を仕入れるためだ。情報過多と言われる日本であっても、偏った情報ばかりが氾濫し、ほしい情報はなかなか入手できないものだ。彼らの話すワインや料理に関するトレンドは実に興味深い。
さて、ベネチア・フリウリ・ロマーニャ州まで行くには、まず、ミラノからベネチアに行くのが最適だ。今回はレンタカーをベネチアから借りることにした。ミラノからベネチアまで約250km、特急電車で3時間の道のりだ。

 ベネチアは僕のお気に入りの街だ。正確に言うなら、街というより島といったほうがいい。イタリア本土から島までは唯一1本道路とイタリア鉄道の線路が海上を繋いでいるだけだ。それはまるで母体と胎児を結ぶ臍の緒のようだ。この海上道路が完成する数十年前まではきっと大変だったに違いない。物資はすべて物量に限りのある船舶に頼らなければならなかったはずだ。今、この海上道路はまさに本土とベネチア本島を結ぶ生命線というべき役割を果たしているのだ。
 話が大分横道に逸れてしまった。本題に戻ろう。見るべきことに事欠かないベネチアではあるが、今回の目的はワイナリー巡り用のレンタカーを借りることだ。午後2時くらいにホテルにチェックインし、早速、AVISに電話してみる。一番安いのでFIAT PUNTOクラス、それでも保険代を含めて一日6,000円くらいはかかる。それを3日間借りる予定と伝える。さすが国際観光都市ベネチアだけあって電話応対も流暢な英語でスムーズに対応してくれる(ローマから南の地方や地方都市だとこうはいかない。イタリア語訛りの英語を平気で使ってくる。でも英語を使える担当者に当たるだけまだましと心得たい。全く通じないおばちゃんに遭ったら、運がないと諦めるしかないのだ)。
 翌朝、ホテルをチェックアウトし、朝一番にバスターミナルにあるAVISに出向く。車がベネチア本島に乗り入れられるのはここまでだ。すでに車は表の道路に待機している。案の定あの悪名高きFIAT PUNTOだ。やれやれ。まあ、仕方あるまい、一番安いクラスといって予約したのだから。
 ここから、街で購入したイタリア北東部の地図とAVISでもらったイタリア全土の地図を頼りにスロベニア国境を目指す。
イタリアの高速道路アウトストラーダA4号線を東に約100km走り、途中でUDINEを目指して北上、さらにUDINEの市街地から北東にある CIVIDAREまで助手席いっぱいに広げた地図を頼りにひたすら走る。
 アウトストラーダを降りUDINEまでくると、北に広がるオーストリアアルプスの山々が晩秋の陽の光を受けて輝いていた。7合目辺りからはうっすらと積もった新雪が見える。やがて辺りは収穫を終えた小麦畑とオリーブ畑が波打つように続き、すれ違う車もあまりないことに気づく。FIAT PUNTOのエンジン音が快調な響きを轟かせていた。
 CIBIDAREの市街地まで10kmの地点でいよいよRONGHI谷を目指し、東よりに進路を取る。頼りになる標識などなく、途中ぶどう畑の手入れをする農夫や片田舎の修理工場といった感じの家でロンギ・ディ・キアラ社の場所を聞く。ところがこれが僕のつたないイタリア語のせいもあるだろうけど、聞く人間毎に当地の場所が違うのだ。数百メートル前で聞いたときは、この道を真っ直ぐといい、また別の者はこの道を戻って最初の十字路を左とか… まあ、ローマやナポリならともかく、こんな片田舎で「しめしめ、日本人のカモがきたぞ。いい加減に教えていただけるものはいただいちゃおう。」なんて輩はいないだろうから、親切心を発揮して彼らの知る取って置きの近道でも教えてくれているのだろうと、ここはいいように解釈するほかあるまい。
 最後の農夫に言われるままに進むと、辺りは民家すらない谷間になっていた。お世辞にも有名なワイナリーがあるとは思えない枯葉まう雑木林が日の当たらない南側斜面を覆っている。道の道路から右側の北斜面にはそれでも人の手が加えられた痕跡が見て取れる。収穫を終えてしばらくたった野菜畑なのであろう、農地を掘り返した後がある。
 そのとき、前方の畑だけが幾段にもなったぶどう畑であることに気づいた。その頂上には民家ともワイナリーとも見える白い建物が見えた。ぶどう畑の中をくねくねと上っていくとやがて「RONGHI・DI・CHIALLA」という立て札が現れた。それこそ、僕が目指していたワイナリーだった。

つづく…